日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月5日の週報コラム「ひだり手」

「ここにいて、いいよ」

〈キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます〉(フィリピ1:15~18)。
★パウロのことを好ましく思っていないキリスト教保守派の人々は、パウロが逮捕されたと聞くや「パウロはローマの官憲から睨まれるような悪しき人間なのだ」と、パウロを中傷したのでしょう。とても喜んではいられないそんな状況の中で、パウロは「喜んでいます」と語るのです。いったいパウロは何を喜んでいるのか。
★それは多分、こういうことではないか。キリストはローマの兵士たちによって悪し様に見下されている状況です。一方パウロ自身は、敵方の伝道者たちによって悪し様に中傷されている状況です。悪し様に見下され、中傷を受けるという点で、キリストとパウロ自身とがこの時、重なっているのです。パウロにとって喜びとは、苦労を重ねた自分の伝道の働きが実を結んで、自分の子飼いのクリスチャンたちからねぎらわれ、誉めそやされること、ではないのです。パウロにとって喜ぶべきことは、自分がキリストのそばにいること、十字架にはりつけにされたキリストと同じように、自分も傷ついた姿で、キリストのそばにいること、それこそがパウロにとって本当の喜びとなることなのです。
★誰かからほめられる立派な自分でなくても、「ここにいていいよ」と、そばにいることを許されること。それこそがわたしたちにとって本当の喜びなのではないでしょうか。パウロには、人から見下されようが、中傷されようが、「ここにいていいよ」、そう語り掛けるイエス様の声が、どこからか聞こえていたのでしょう。
by oji-church | 2015-07-08 09:31 | 牧師からのメッセ-ジ