日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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5月10日の週報コラム「ひだり手」

聞くことから始まるもの

〈信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです〉(ローマの信徒への手紙10章17節)

★パウロは「(信仰は)キリストの言葉を聞くことによって始まる」と語ります。「キリストの言葉を聞く」というのは、聖書の言葉に耳を傾けることだと思われるかもしれません。あるいは牧師の説教に耳を傾けることだと思われるかもしれません。確かにそれも大事なことです。だけれども、わたしたちにとって、聖書の言葉に耳を傾けることがなぜ大切なのかと言えば、それは、人の痛みや呻きによく耳を傾けた神様の声がそこに響いているからです。旧約聖書の出エジプト記の最初には、奴隷としてこき使われているイスラエルの人々を導き出すためにモーセに呼びかけた神様の声が響いています。それはこんな声です。「わたしは、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その傷みを知った。……見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た」(出エジプト記3章7~9節)。
★人々の苦しみ、叫び声をしっかりと聞き受けた神様の声が聖書には響いています。だからこそ、わたしたちは聖書しっかりと耳を傾けるべきなのです。牧師の説教が何によって測られるかと言えば、それはその説教を語る牧師が、どれだけ人の声と言葉に耳を傾けているかだろうと思います。
★わたしたちが宣教とか伝道とか言う時に、真っ先に自分が何か証しらしきことをしなければならないと思いがちなのですが、そうではなくて、宣教とか伝道とかいう時に、わたしたちがまずなすべきことは、耳を傾けるだろうと思います。人の痛み、声にならないため息、言葉にならない呻き、そういうものを聞き受けることから伝道とか宣教というものは始まっていくのだろうと思います。
by oji-church | 2015-05-13 13:45 | 牧師からのメッセ-ジ