日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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3月15日の週報コラム「ひだり手」

山の上の夢

〈イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。……すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。〉(ルカによる福音書9章28~36節)

★小さい頃、わたしたちはだれもが弱く小さな存在でした。弱く小さかったわたしたちに必要だったのは、ただ愛されること、大事にされることでした。弱く小さかったわたしたちは、自分が愛され、大事にされることを夢見ました。でも、それが得られなかった時、わたしたちの小さな心の中に、怒りや憎しみの種が蒔かれます。この小さな心の中に蒔かれた怒りや憎しみの種が芽生え、愛や大事にされることを受けずに、そのまま大きくなっていくとき、人はただ自分自身の「強さ」にのみ依り頼み、自分や他の人の弱さや小ささを受け入れられない人間になっていきます。弱い者、小さな者は犠牲にされて当然と考えるようになり、自分自身の弱さ、小ささを思い起こさせる者は、憎むべき敵となります。ヒトラーのような人物を思い浮かべれば、それがどんな人間か分かります。でも、いまのわたしたちの社会は、そのような弱さ、小ささを受けとめられない人を次々と生み出しているように思えてなりません。しかし、そのような人は夢見るいとまを失います。相手より強く、人よりも大きくならなければならないとされる競争社会の中で、人は自分も人も愛され、大事にされ、自分が生きているこの世界と和解して生きる夢を見ることができなくされてしまいます。
★わたしたちという弱く小さな存在。でもその中には、わたしが愛され、あなたが大事にされ、この世界と和解して和らいで生きるという夢が秘められているということ。そのことをイエス様は弟子たちに教えよう、告げようとして、普通であれば、ひとりで神様と語らうその場所に弟子たちを連れていったのではないかしら。
by oji-church | 2015-03-18 11:35 | 牧師からのメッセ-ジ