日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

2月15日の週報コラム「ひだり手」

傷の中にいる人

〈それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」〉(ヨハネによる福音書20章27節)

★イエス様が最後に弟子たちに示されたのが、人並み外れた華々しい奇跡ではなく、自分の手のひら、わき腹にうがたれた「傷」であることに心引かれます。わたしたちが今生きている世界は、傷、傷、傷に満ち満ちています。でもそんなものを幾ら見たところで、わたしたちは救われた気持ちにはならないし、信仰なんて持つことは出来ないと思われるでしょう。
★でも、マタイによる福音書の終わり近くにこんな場面があったことを思い出すのです。やがてイエス様が現れて、人々を二つのグループに分けて一方のグループの人にこう言われる。「あなたたちは、わたし飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」。言われた人は「いつわたしたちがあなたにそんなことをしましたか」と聞き返す。するとイエス様はこう言われる。「はっきり言っておく、わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と。わたしたちの回りにはどこを見回しても、イエス様はいない。でもわたしたちの回りには、飢え、渇く人、旅人のように寄る辺ない人、着るものに事欠く人、病気でいる人、牢屋に捕らわれている人なら、幾らでもいます。
★わたしたちの回りはそんな痛々しい傷であふれかえっている。わたしたち自身だって、率直に自分自身を省みれば、どこかしなら、何かしら傷を負っているだろう。イエス様は最後に、ご自分の手の傷、わき腹の傷を見せることで、あなたの回りに溢れているその傷の中に、「わたしも共にいる、いつも、いつでも」ということを示されたのではないかしら。そんなふうに思うのです。
by oji-church | 2015-02-17 13:21 | 牧師からのメッセ-ジ