日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月16日の週報コラム「ひだり手」

常識とは、お互いに分かり合うこと

★(承前)わたしたち普段、自分で意味のよく分からない尋常でない出来事に直面した時には、同じように何とか自分の持っている常識の中にその出来事を押し込めて理解しようとするものです。どうしてもその常識に納まりきらない人は「あの人は非常識だ」と言われることになります。
★英語で「常識」はコモンセンスと言います。「共通の感覚」という意味です。もっと平たい言葉で言えば「お互いにわかり合えること」。それが本来の常識というものなのです。「お互いにわかり合う」ということは、最初からできあがっていることではありません。お互いに一緒にいること、同じ時間を共有することの中から「お互いに分かり合う」という関係は芽生えてくるものです。一人ひとりの人と一緒にいて、丁寧に同じ時間を共有するなかで、一人ひとりの人と、一つひとつの常識、「お互いの分かり合い」が生まれてくるのだと思います。そのためには時間が必要です。現代人、都会に生きているわたしたちは、出来ること、やるべきことは豊富にあっても、この「時間」という点で貧しさを抱えているかもしれません。それで一緒にいて、同じ時間を共有することができずに、勢い、出来合いの「常識」で済ませようとしてしまいます。でもそうすると本当の意味で「お互いに分かり合う」関係を作ることができません。結局人と人の間はその分だけ、疎遠でよそよそしいものになってしまいます。
★イエス様のまなざしは誰かと一緒にいること、同じ時間を共有してこそ「お互いに分かり合う」ことができるという一点に注がれているのです。この女性は今イエス様と一緒にいて同じ時間を共有していることをこの上なく大事に思って、跪いて、イエス様の足を自分の髪でぬぐったのでしょう。
by oji-church | 2014-11-20 11:48 | 牧師からのメッセ-ジ