日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月19日の週報コラム

それでも人間らしく生きる

〈イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、ご覧ください」と言った。イエスは涙を流された。〉(ヨハネによる福音書11章33節)

★この場面をじっくり読んでみて注意を惹かれるのは、イエス様の振る舞いが変わっていくことです。それまでイエス様は「ラザロ危篤」の知らせにも無頓着で、「神の栄光のため」とか「あなたがたが信じるようになるため」とか、落ち着き払って、「分かったような」なりをしていた。ところがこのマルタとの対話の後、イエス様の様子が変わるのです。イエス様は「心に憤りを覚え、興奮した」と書かれています。これは「激しく息をして、自分自身をかき乱されて」訳した方がいいと思います。そうしてさらにその先ではイエス様が「涙を流した」と書かれています。もう「神の子」然として何もかも「分かったような」顔をしているイエス様ではありません。人間らしく、心かき乱され、鼻息荒く、泣いてしまうイエス様です。確かに泣くのを我慢していると鼻息が荒くなりますよね。
★大きな悲しみや失望を前にして、人は悲しみ、胸をかき乱してしまう、そういう自分の弱さを打ち消そうとして、かえって人間らしさを失ってしまう時がある。自分に対しては投げやりになり、人に対しては攻撃的になり、どうせ人はみんないずれは死んでしまうのであれば、もうどうでもいいという具合に。人は誰もがいずれ死ぬべき境遇に置かれています。どう生きるかに関わりなく。それが「絶望」というものです。
★しかしそれでもなお、イエス様はむしろ人間らしく、まことに人間らしく心揺り動かして涙を流されたのです。生きるということ、人間らしく生きるということには意味があるということを、この「激しく息をして」「自らをかき乱され」「涙を流す」イエス様の姿は、わたしたちに伝えようとしているのではないかと思うのです。
by oji-church | 2014-10-21 15:02 | 牧師からのメッセ-ジ