日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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8月24日の週報コラム「ひだり手」

戦時下の教会(2)

★いまの教会のありようから戦時下の教会の信仰を「ダメな信仰」として批判することは難しいことではありません。でも、もしも自分がこの時代にクリスチャンとして生きていたと考えてみると、最初のうちは少しばかり抵抗したかもしれない。でも、官憲や軍隊の監視があって、従わないならば逮捕されて痛めつけられると思えば、嫌々ながら形ばっかりでも従うようになるかもしれなせい。やがてみんなが当たり前のようにそれをしていたら、だんだんと自分の当たり前のことのように思い込んで、何の疑いもなくやるようになるかもしれない。そんなふうにも思います。でも、そんな中で、人の命を殺し、また、大人も子どもも殺される戦争というものまでもが「当たり前」のこととして思い込ませられるようになってしまうのです。当時キリスト教会そのものが、そういう人に戦争を当たり前と思い込ませる動きに、最初は巻き込まれ、最後には積極的に加担していったのでした。
★預言者イザヤはユダヤの国が富み栄えて、その力でもって、アッシリアやエジプトの武力を頼みにして、自分も戦争に乗り出していこうとしていた時代に、むしろ神様はそんなユダヤの国を捨てられるだろうと預言しました。「この国は銀と金に満たされ、財宝には限りがない。この国には軍馬が満たされ、戦車には限りがない。この国は偶像に満たされ、手の業、指の造った物にひれ伏す」(イザヤ書2章7~8節)。
★人間の力を神だと思い込んで崇める、誤った信仰に陥ってしまった時、わたしたちはどんなことになるか。「人間が卑しめられ、人はだれも低くされる」(同9節)。人間の力を崇める信仰に陥ってしまった時、人は結局自分自身を卑しめることになるのだ、とイザヤは語るのです。人間を崇める信仰に陥ってしまった時、その力の前で、わたしたちは人を殺すことも、自分が殺されることも「当たり前」のことのように思い込んでしまうのです。本当は殺されて当たり前の人なんて、この世に一人もいません。それが「当たり前」と思い込ませられてしまう時、どれだけ人間の命の価値が貶められているでしょうか。 
by oji-church | 2014-08-27 12:22 | 牧師からのメッセ-ジ