日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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8月17日の週報コラム「ひだり手」

戦時下の教会

★日本基督教団では、1942年11月に当時教団の統理であった富田満牧師が天皇に「賜謁」したことの返礼として、翌12月に全国の教会に対して「国民儀礼実施の件」という通達が出されて、各教会の礼拝の冒頭に「国民儀礼」が行われるようになりました。開会の時間になると、司式者が「一同起立、礼」と号令をかけます。「宮城遙拝を致します」と声を掛けると、出席者全員が皇居のある方向に体を向けて、司式者の「礼」というかけ声に合わせて最敬礼をします。どちらが皇居の方角か分かるように、その方角の壁に日の丸が貼ってあったという証言もあります。これは一番簡略化された形式で、国の「開戦記念日」である毎月8日に日曜日が当たった日には、これに「君が代」斉唱が加えられることもあったそうです。昭和六年版の讃美歌には「君が代」が楽譜付きで載せられていました。
★敗戦の日、1945年8月15日を迎えます。この「国民儀礼」は当時日本の植民地となっていた台湾や朝鮮の教会にも強いられていましたが、8月15日を境に台湾や朝鮮の教会ではすぐに「国民儀礼」は行われなくなったのに対して、日本の多くの教会では8月15日以後も、しばらくの間、45年の10月頃まで、遅いところでは46年が明けるまで続けられていたという記録があります。つまり、当時の日本のクリスチャンたちの多くは、強いられて嫌々ながら、礼拝の中で天皇を仰ぐ「国民儀礼」を行っていたというよりも、むしろ、キリスト教の信仰と特段矛盾しない当たり前のこととして、ほとんど無意識に続けていたということです。
★こうして天皇の名のもとに大勢の人たちが戦争に出かけていき、殺し殺され、また天皇の名の下に女性も子どもも年寄りも戦争に協力させられ、また命を落としていきました。ほんの僅かなクリスチャンを除いて日本の教会とキリスト教は、このことを特段キリスト教の信仰と矛盾しない当たり前のこととして受けとめていたのです。(つづく)
by oji-church | 2014-08-18 11:35 | 牧師からのメッセ-ジ