日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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8月3日の週報コラム「ひだり手」

「平和聖日」に思う―「敵を愛する」という「自衛」

〈わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから〉(エレミヤ書29章7節)

★日本国憲法の前文には以下のような言葉があります。「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」。わたしたちが「自国」のことのみに専念せずに、他国を無視しないことは大切なことです。いま、わたしたちの暮らす国は「集団的自衛権」とか「国際貢献」という名のもとに、他国に軍隊を送って戦争に加わることのできる準備をなそうとしています。これも一見すると「自国のことのみに専念しない」「他国を無視しない」ありようにも見えます。だけれども、武力を用いるとき、わたしたちは相手の国に生きている人々の生命を「無視」することにはならないでしょうか。どんなに自国の外に関心を向けたとしても、それが武力を用いることに帰結するならば、そこには必ず生命に対する「無視」、生命を「無」にする力=暴力が働くことになるのです。いま日本では、「日本という国」がいかに優れていて麗しい国かという論調がもてはやされ、他方では近隣の国の人々に対する排外主義が高まっています。これこそまさに「自国のことのみに専念して他国を無視」するありようでしょう。
★聖書が語る「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章43節)というイエス様の教えは、一見すると荒唐無稽のように響きます。しかしこれこそ実は、「自国のことのみに専念しない」「他国を無視しない」姿勢のもっともあるべき姿ではないか。そういう意味で、平和を形作るため、自国を守る=自衛のためのもっとも現実的なありようではないかと思うのです。戦争や武力行使は、「自衛」を語りながら自国民を危険にさらし犠牲にすることが前提です。そして指導者たちはそのことを「ウソ」で覆い隠し、自分は戦地に赴かずに机上で計画を練ります。そういう意味ではもっとも非現実的な「自衛策」と言わなければなりません。
by oji-church | 2014-08-04 15:36 | 牧師からのメッセ-ジ