日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月20日の週報コラム「ひだり手」

「こう」でなくて、「ぜんぶ」を

「モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。うわべだけで裁くのをやめ、正しい裁きをしなさい。」(ヨハネによる福音書7章23~24節)

★ここで「安息日に全身をいやす」と言っているのは、もとの聖書のギリシア語通りには、「一人の人間の全部を健康にする」となります。「健康にする」というのは、尊いものとして認める、値高いものとして見出すということでしょう。つまり、イエス様は安息日に、体の不自由な人の、その人の人間の全体を見つめて、その一人の人の人間の全体を、尊いものとして、この上なく価高いものとして見つけ出して下さったということです。
★わたしたちは大人になる過程で、「こうでなければ良い人ではない」「こうでなければ正しい人とはいえない」という「掟」を幾つも、こころの中に根付かせていきます。そうしていつの間にか、人間の全部を見つめるまなざしを失って、人間の全体を見つめるよりも、「こう」という掟の方を優先するようになってしまいます。そして自分に対しては、自分が人から「こう」見られているかどうかを気にするし、自分が「こう」でなければ自分自身を好きになれなくなってしまいます。人に対しては、その人が「こう」でなければ「悪い奴」だとか、価値がないとか思ってみたり、憎らしくなってしまったり。でもその「こう」というのは、人の一部分の振る舞いに過ぎません。「木を見て森を見ず」というのと同じに、わたしたちは人の一部分だけを見て、その人の価値を判断したり評価しようとしています。でも、神様の御心はそうじゃない。神様はこの世界の全部を作り、最後に額に汗しながら泥をこねりにこねって人間を作られて、「見よ、それは極めて良かった」と叫んだ神様です。人間の足だけ作って「スラッとした美脚だね」と言ったのでもないし、顔だけ作って「イケメンにできあがった」と喜んだのでもありません。人間の全部を作って「とってもいい!」と叫んだ神様なのです。
★わたしたちが誰かさんのどこかを捉えて、あちこちで「良い人」だとか「悪い奴」だとか評価や評判を立てている傍らで、神様は一人の人の全部を見つめて「お前さんはわしの宝じゃ」と言って、ぎゅうっと抱きしめておられるということです。
by oji-church | 2014-07-24 13:40 | 牧師からのメッセ-ジ