日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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3月30日の週報コラム「ひだり手」

「正義」の「裁き」

〈神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神の独り子を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。〉(ヨハネによる福音書3章13~19節)

★ここで言われているのは、神様がこの世に生きる者に命を与えようとされている、そのことを信じない「悪い奴」は、もう既に裁かれているということです。ではその「裁き」の中身、つまり「悪い奴」に対する罰とは何かと言えば、それは「信じない」というその「悪い奴」の現在のありようそのものだと言うのです。「悪い奴」は、光がこの世に来ているのに、光を憎み闇を好んでいる。ではその「悪い奴」に対する「裁き」の中身、罰は何かと言えば、その「光を憎み闇を好む」という今のありさまそのものがもう「裁き」、罰なのだ、と言うのです。なかなかわかりにくいことなのですが、「悪いことをやった奴は、罰を与えられるよ。そうして酷く不幸な結末に行き着くよ」というのではなく、悪いことをやっている今のその状態がもうすでに、酷く不幸な状態なのだ、ということです。
★この場合、「裁き」というのは、くっきりすっきり目に見えて鮮やかな結果を見せてはくれません。正しい者は永遠の命を得て天国に迎え入れられ、永遠に幸せに暮らし、悪い者は地獄に投げ込まれて永遠に不幸な憂き目に陥れられるという具合に、正しい者と悪い者との運命はくっきりはっきり区別はされません。もっと白黒はっきりつけた方がいいと思われるかもしれません。でも、悪い者は今あるその者自身の有様がもう既に「裁き」になっているという、このヨハネによる福音書が語ることは大事なことのようにも思うのです。(つづく)
by oji-church | 2014-04-03 16:22 | 牧師からのメッセ-ジ