3月2日の週報コラム「ひだり手」
★いまNHKの教育テレビで「100分で名著」という番組をやっています。いわゆる「名著」とされている小説や古典文学や哲学書や科学書などを分かりやすく解説してくれる番組で、結構欠かさず見ているのですが、いま取り上げられているのはエーリッヒ・フロムという心理学者の『愛するということ』という本です。わたしにとってはまだ学生だったころに一度読んだことがあるような、遠いかすかな記憶しなかった本ですが、この番組で取り上げられているのを見て「なるほど、そうだったのか」と改めて納得させられた点がありました。
★この本のなかでフロムは、すべての人間は、孤独から解放されるために愛を求める存在であると語っています。なるほど確かに「愛」は孤独の対極にあるものと言ってよいでしょう。しかし、ここからがフロムの真面目なのですが、多くの人が「愛」を求めているようでありながら、実は多くの場合人々が求めているのは「愛されること」だと言うのです。どうすれば自分は人から「愛される」存在となれるか。「愛」という言葉でもって人々が思い描くのは、ほとんどの場合、そういう「受け身」の「愛」だと言います。その一方で、わたしたちはしばしば、自分には人を愛する愛情が足りないと感じています。どうして自分には人を「愛する」愛が足りないのか。この問いに対するわたしたちが思い至る答えは、しばしばこういう答えです。「それは、相手が『愛される』に足る存在ではないからだ」と。こうしてわたしたちは「愛」という言葉でもって、往々にしてただただ「愛される」事ばかりを問題にしているのだと。
★でもわたしたちが本当に人間として生き、本当に孤独から解放されるために必要なのは、「愛される」ことよりもむしろ「愛する」ことなのだとフロムは語ります。(つづく)