12月15日の週報コラム「ひだり手」
★12月6日(金)に「特定秘密保護法案」は、参議院委員会で抜き打ちの強行採決され、間を置かずに本会議で採決に掛けられ与党単独の賛成によって可決され、「法案」ではなく「法」となりました。これによって政府・国家が「不都合な真実」を、第三者のチェックを経ず、「お手盛り」で「秘密」とすることができる体制が整ったと言えます。
★この法律には、「秘密」の「内側」と「外側」があるように思います。「秘密」の内側では、とりわけ、外交・安全保障の事柄が取り扱われます。「安全保障」とは現代にあっては「戦争計画」と言い換えても差し支えないものになっています。「秘密」の内側では戦争の計画を、誰に邪魔されることなく練り上げることができるようになります。沖縄返還にまつわる「核密約」という国家による虚偽=犯罪を暴いた記者の報道は、今回の法律では処罰の対象となることを、政府は明言しています。
★「秘密」の外側では、「秘密」を明らかにすれば処罰の対象とされるという緊張感が働き、なるべく「秘密」の周辺には近づかないようにという萎縮が拡がります。そして何が「秘密」かを確かめることが出来ない以上、政府・国家にとって不都合な者が、突然見せしめに「秘密」を暴こうとする者と嫌疑をかけられ、取締の対象とされても抵抗することは難しくなります。こうしたことは見せしめに一度か二度、取締れば、効力を発揮するものです。戦前、キリスト教に対する弾圧はすべて「見せしめ」として一部の人々に対してのみ振るわれました。こうして「処罰」という強制力を持った「秘密」は内側からは膨らみ、外側からは避けられて、自己増殖していくのです。
★そんな「不自由」な時代の息苦しい空気が未来から漂ってくるのが感じられます。聖書は語ります。「真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ8:32)。真実を知らなければ、わたしたちは虚偽に自分の身と命をあずけなければならなくなります。いまわたしたちがなすべきことは、「知るべし、由(よ)るべからず」なのでしょう。