日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月3日の週報コラム「ひだり手」

「肩書きのない声」

〈ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」〉(ヨハネ福音書1章14節)

★ヨハネは自分はただ「声」であると言います。「主の道をまっすぐにせよ」と叫ぶ「声」。自分はメシアでも、エリヤでも、預言者でもない。立派な肩書きなど何一つない。裸一貫のただの人間だ。だから、ユダヤの支配者たる人たちをしのぐ権限など何も持っていない。けれどもわたしの後から大いなる人が訪れる。自分はその人を指し示す役目を神様から示された。だから声を上げて、わたしはその人を指し示すのだと。ヨハネはそう答えたわけです。
★ヨハネによる福音書が書かれた時代、当然イエス様の姿形はこの世にはありません。信仰を宣べ伝えていくためには、ただ言葉によって、声を上げて、イエス様のことを語り伝えていくしかありません。しかし当時キリスト教はユダヤ教当局から迫害を受け、またローマ帝国当局からも目を付けられていました。声を上げれば連行され、訊問され、拷問に掛けられることもあったでしょう。そういうユダヤ当局やローマ当局をしのぐ権限は、クリスチャンたちは何も持っていませんでした。裸一貫で社会に放り出されています。だけれども信仰を持っていくために、彼ら・彼女らは声を上げたのです。「主の道をまっすぐにせよ」と。そういうこの当時のクリスチャンたちの姿が、この洗礼者ヨハネの姿には二重写しになっています。
★それから二千年の時を経て、現代にわたしたちは生きています。わたしたちもまた信仰を持っていくためには、言葉によって、声によってそれを告げ知らせ、またそれを受け止めていくより他ない時代に生きています。でもわたしたちは何の権限も社会に対して持っていない弱く小さな存在です。でも聖書が語るのは、神様が裸一貫に人間こそが神様について、イエス様について、証ししていくべきものだということです。特別な地位や肩書きを持つ人だけの仕事ではないのだ、ということ。
by oji-church | 2013-11-06 09:29 | 牧師からのメッセ-ジ