日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月20日の週報コラム「ひだり手」

「脇役人生」

〈神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。〉(ヨハネによる福音書1章1~5節)

★聖書は洗礼者ヨハネは脇役であると語ります。しかしイエス様もまた、この福音書では世の中から受け入れられず、脇へと追いやられていくのです。だけれども、追いやられたその「脇」にこそ、神様はまなざしを注がれるのです。洗礼者ヨハネはヘロデ・アンティパスによって退けられ、イエス様はユダヤのエリートとローマ総督ポンテオ・ピラトによって退けられる。けれどもその退けられゆくその人を大切に思い、それに従って共に脇へと歩み出していく人々がいた。最初の時代のキリスト者たちです。その人々は、神によって生まれた人たちだ、と聖書は語ります。他の誰よりも、この脇へと追いやられ、またそれに従って脇へと歩んでいく人々と共に神様はおられるということ。この神様こそ本当の主役に外なりません。他に主役はいないのです。人間だれしもが本来脇役なのです。でもこの脇役を本当に一生懸命に演じていくときに、そこに光が注がれるということです。
★人類はある時から、自分こそが歴史の主人であると思いなすようになりました。けれども今、そのようにわれこそ主役と振る舞ってきた人類が、その舞台たる世界を、地球を台無しにしてしまっていることが明かになってきています。人類は決してこの世界の主役ではなかった。聖書はむしろ人類が脇役として果たすべき役割がたくさんあることを告げています。どうかわたしたち一人ひとり誰もが、洗礼者ヨハネに従い、イエス様に従って、名脇役として、果たすべき役割をしっかりと果たしてゆきたいものです。
by oji-church | 2013-10-23 15:02 | 牧師からのメッセ-ジ