日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

9月29日の週報コラム「ひだり手」

「目が悪くなっていないか」

〈『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』 〉(ヨハネ20:12~15) 。

★この主人の台詞の最後、「わたしの気前のよさをねたむのか」を、もとのギリシア語通りに訳すと「わたしが良いので、あなたの目が悪いのか」となります。元々の意味をあえて言えば、「わたしがよいことをしているのがわからないくらい、あなたの目は悪いのか」という感じになるでしょうか。「わたしがよいことをしている」とはどういうことか。それは「この最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたい」と思うことでしょう。「この最後の者」とは、高齢の人、子ども、しょうがいや病気を負っていて「役立たず」と見なされて、一日中寄せ場に立ち続けたにもかかわらず、誰にも雇ってもらえなかった人たちです。この人たちにも同じように支払ってやりたいと願うこと、それがいいことだと分からないくらい、それが不公平なえこひいきに見えるほどに、あなたの目は悪くなってしまっているのか、とこの主人は問うているのです。
★いろんな経済効果を複雑な計算式で割り出すほどにわたしたちは賢く未来を見通せるようになっているかも知れません。けれども、そのことによってむしろわたしたちが失ってしまっている大切なものへの眼差しというのがあるのではないか。どんな命にも意味があり、価値があり、それは数字では計ることはできないということ。その命の意味と価値とは、出会い触れ合って初めて分かるということ。その命の意味と価値とを数字でもって計って、効果が期待できないと言って捨ててしまったのでは、もうわたしたちには未来がないということ。本来わたしたちは、そういうことをしっかりと見つめる目を持っていたはずなのに、その目を悪くしてしまってはいないか、と問われているのです。
by oji-church | 2013-10-02 14:28 | 牧師からのメッセ-ジ