日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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9月22日の週報コラム「ひだり手」

「死では終わらない」

〈イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、 言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った〉(ヨハネ11:33~36) 。

★友人ラザロの死に直面してイエス様も「涙を流された」と言われます。人々は、イエス様もラザロの死を悼んで涙を流したと受け取ります。しかしイエス様はラザロの死を悼んで涙を流されたのではないと思う。ラザロの姉のマリアが泣き、一緒に来た人たちも皆泣いているのを見て、イエス様は「心に憤りを覚え、興奮して『どこに葬ったのか』と言われた」とあります。イエス様は泣くよりも前に憤っている。何を憤っているのか。
★11章3節、初めてこのラザロについての知らせがイエス様のもとに届く場面。イエスはその知らせを聞いてこう言われます。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである」。多くの人が常識的な予測・判断に沿って「もうお終いだ。もう泣くしかない」と思っている最中にあって、イエス様は「死では終わらない」という所に最後まで踏みとどまるのです。神様はものごとを決して死では終わらせないのだ、ということ。絶望的な死による終わりが乗り越えられ、神様は絶望に抗して、人々の切なる願いが満たされる喜びの時を必ず与えられるのだということ。そういう「信」をイエス様は決して手放さないのです。そういう喜びの時が必ず与えられるというイエス様の「信」こそが、福音、「喜ばしい知らせ」というものです。決して打ち消すことのできないこの「信」を、人々は省みずに、だれもが絶望を前にうちひしがれ、泣いている。そのような、絶望に脆くも膝を屈してしまう人々の有様に、イエス様は憤りを覚え、人々のそのような有様を悲しんで涙を流したのではないのかと思うのです。
★東日本大震災から2年と半年が経ちました。あの被災、原発事故による被害を忘れさせ、うやむやにしようとする絶望の力に対し、わたしたちはイエス様の「信」を携えて抗し、希望をもって進んでゆきたいと思います。
by oji-church | 2013-09-25 14:52 | 牧師からのメッセ-ジ