日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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8月11日の週報コラム「ひだり手」

「その町の平和を求める」

《イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから》(エレミヤ書29章4~7節)。

★エレミヤは、敵国バビロニアの町の平和を祈るように、と言います。エレミヤは「非国民」、敵のスパイではないかと言われたかもしれません。
★しかしわたしがここで心引かれるのは、エレミヤが「バビロニアの国や民族のために祈りなさい」と言うのではなく、「その町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい」と言っている点です。捕囚として送られた町で、ユダヤ人たちはバビロニアの人々と、それがどんなに異国の地の憎むべき敵、であったとしても顔と顔とを合わせて触れ合わざるを得なかったでしょう。エレミヤがここで語っているのはそういう、顔と顔とを合わせた具体的な出会い、触れあいのことなのです。無論エルサレムの侵攻に際して、バビロニアの軍隊は手ひどい横暴を振るったことでしょう。ユダヤ人にとってそれは許し難いことだったでしょう。しかし現実にユダヤ人とバビロニア人が、日々をつないで、与えられた命を一日一日精一杯生きていく、そういう日々の生活の中で出会い、触れ合う時、お互いに横暴な人間ばかりではないということを知らされる場面が多くあったのではないかと思うのです。そこにこそ本来、わたしたちが人間として生きていく本当の土台、確かな出発点があるのだということです。(つづく)
by oji-church | 2013-08-12 12:56 | 牧師からのメッセ-ジ