日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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6月16日の週報コラム「ひだり手」

「手を握ればわかること」

《ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右の手を取って彼を立ち上がらせた。》(使徒言行録3章6~7節)。

★誰かの手を握ると分かることがあります。その人の体の温かみ。その人が生きているということ。だれにでも悲しい時やさびしい時があるということ。でも誰かの手を握って分かるのは、今生きているのは自分ひとりぼっちではないということ。
★この足の不自由な人は生まれて初めて自分の手をぎゅっと握られてそういうことが分かった。そうしたら元気が出て、立ち上がることができた。歩くことも。飛び上がること、踊ることまでも。もしかしたらこの人は、もともと歩くことができたのかもしれない。でも周りの人たちから「お前は歩けない」。だから「お前は生きていたってつまらない」。「働くこともできない」。だから「ちょっとでも、幸せになりたかったら、道ばたに座って人からお金をもらいなさい」。なぜなら「一番大事なモノは『お金』だから。、お金があれば、なんでも手に入るから」。ずっとそう言われ、教えられてきたのじゃないか。
★でもこの二人が教えてくれたのは、生きていて一番うれしいことは、誰かと気持ちが通じ合えた、わかり合えたと思えることなんだということ。どんなにお金があっても、誰とも気持ちが通じ合えたと思えなかったら、それはとてもつまらない人生です。
★イエス様はきっとそんなことをお弟子さんたちに教えてくれたんだと思います。この足の不自由な人の前を通りがかって、手をぎゅっと握って立ち上がらせてくれたのは、イエス様のお弟子さんたち。「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言って。僕らが誰かと手を握り合って、お互いに気持ちを通じ合わせること、わかり合えたと思えること、そのことを大事にしようとする時、イエス様がきっとわたしたちのそばにいてくれるということです。
by oji-church | 2013-06-19 09:15 | 牧師からのメッセ-ジ