日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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6月9日の週報コラム「ひだり手」

「人の寂しさを見つめるまなざし」

《狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない》(マタイによる福音書8章20節)。

★人は皆、一人で生まれてきてやがて一人でこの世を去ってゆかねばならない存在です。家族に看取られる人、そうでない人もいるでしょう。でもいずれにしても「その時」、死んでゆくのはこの「わたし」一人です。誰しもがそのことを知って生きています。だから人は誰しも、心の奥底に「寂しさ」を抱えている存在です。実は、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもない」というこのイエス様の言葉は、イエス様一人の境遇ではなく、人間皆共通の境遇なのです。
★イエスという人は、人の根っこにあるこの寂しさをじっと見つめていたのではないかと思うのです。それは本当は家族によって紛らわせるものではなく、この人一人ひとり、ひとりぼっちの寂しさの傍らに、そのどん底まで共にいてくれるものがあるのだということを、イエスはじっと見つめていたのではないか。この場面のすぐ後に、舟に乗ったイエス様と弟子たちが嵐に翻弄される場面が語られています。嵐に戸惑う弟子たちの口から「主よ、助けてください。おぼれそうです」という叫びが挙がります。この弟子たちの叫びは人間が根っこに持っている「寂しさ」を言い表しているかもしれません。それに対してこの場面の中でイエス様は「眠っている」のです。あり得ない「のんきさ」と思われるかも知れません。しかしこの嵐に翻弄される舟の中で眠っているイエス様の姿は、むしろ人間の根っこの寂しさというものをじっと見つめている姿ではないかと思うのです。そして、それはただ寂しいだけの人間を見つめているのではなく、その寂しさの傍らに寄り添って、たとえ嵐のただ中にある時にも共におられる方がいるということ、神様のことをもじっと見つめている姿なのではないかと。
by oji-church | 2013-06-12 09:12 | 牧師からのメッセ-ジ