日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月28日の週報コラム「ひだり手」

「わたしたち自身の事柄として」

★福島大学の教授で、昨年の原発事故以前から原発の問題性を指摘する働きをしてこられた清水修二さんという方が書かれた『原発とは何だったのか いま福島で生きる意味』という本を読みました。その中で清水さんは、いわゆる「原子力村」と呼ばれる政府・電力会社・学者ぐるみで原発を推進してきた人たちを批判する声の高まりに対して、控えめながら問いを投げかけています。「今度の大事故が起こった後で一斉に沸きあがったのは、いわゆる『原子力村』叩きの風潮だ。東電をはじめとする電力会社、原子炉メーカーなど原子力業界、国策として原発を推進してきた政府、業界や政府からたっぷろ研究費をもらってのし上がった御用学者、大手の広告主である電力会社に都合のよい情報ばかり流してきたマスコミ――こういった者たちが今度の事故の共同正犯だとして、つるし上げ、袋叩きにするのが『正義』になった。この風潮の中で、たとえば『国民の責任』や『電力消費地の責任』を口にするのはいささか勇気がいる」と。
★しかし今回福島に行って、彼の地に暮らす人たちの絞り出すようなお話を伺う中で感じたのは、わたしたち一人ひとりが自分自身の事柄として、自分自身もその責任の一端を負う者であると自覚しないかぎり、本当の意味で福島に暮らす人たちの苦しみを共に分かち合うことはできないだろうということでした。無論、「原子力村」と言われるグループの中にいる人たちの罪は重いと思いますが、それによって作られた原発の、その電気を利用して便利で快適な生活を享受してきたわたしたちも、やはり罪ある存在なのだという自覚です。
by oji-church | 2012-11-01 08:59 | 牧師からのメッセ-ジ