日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

9月23日の週報コラム「ひだり手」

神の願いが込められた部分

《そこで神は、ご自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです》(コリントの信徒への手紙1.12:18)

★「ご自分の望みのままに」と言われると、「神様の好き勝手に」という意味に読めてしまいます。ここで「望み」と訳されている言葉は「意図する」という意味の言葉です。平たくいえば「こうしたいと思う」ということです。「こうであってほしいと願う」という意味にもなります。そこから広がって、「好む、喜ぶ、愛する」という意味にもなります。だから、意訳すれば、神様は「こうあってほしい」「こうあれかし」という熱い願いを込めて、体に一つ一つの部分、肢を置いたのだ、ということです。
★その先の24節を、もとのギリシア語を直訳すると「神は、より劣っている部分に価値を与えて体を組み立てたのだ」となります。つまり神様は、より劣っていると思われてしまう、弱い部分、にこそ、「こうあってほしい」「こうあれかし」という熱い願いと祈りを込めて、人間のいのちを創ったのだ、ということです。人が「恥」だと思うような、情けなくて悲惨だと思えるような、弱くされた人の姿の中にこそ、そんな人の命や生活の弱い部分にこそ、神様の熱い思いが込められているということ。だから、わたしたちが神様の思いや神様を願いを知ろうとするならば、自分自身や人の弱い部分にこそ、まなざしを向けなければならないのです。
by oji-church | 2012-09-27 13:30 | 牧師からのメッセ-ジ