日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

9月2日の週報コラム「ひだり手」

田中正造にとっての「国」

★田中正造は、足尾銅山開発による渡良瀬川流域の農地や河川の鉱毒による汚染・破壊を、自分の身上を賭して訴え続けた人です。汚染された水を溜める遊水池を造るために谷中村が水没させられることになると、正造は谷中村に移り住み、産業開発のために農村とその環境が犠牲とされることの不正を訴えました。
★日露戦争が起こると、谷中村の若者たちは戦争にかり出されました。戦場から復員してみると、鉱山会社の開発のために自分たちの村が破壊されているのを彼らは目にします。彼らの運命を思って正造は日記に次のように書いています。「日本魂」は(政府の戦争に行けという)命令上の必要のために叫ばれている。それは国家の半分を表すもので、残りの半分は空虚になっている。谷中の若者が日露戦争に出征したのは、政府を信頼する「日本魂」のゆえである。財産や村を守るのは彼ら自身なのに、半分が空虚な「日本魂」のために、出征中に盗賊が来て、財産や村を奪われてしまった。(以下は日記本文)「日本人汝ヂノ魂ハ半面ハ強硬ナリトスルモ、ソノ半面ハ空虚ナリ。玉ニセバ大疵物(おおきずもの)ナリ。…日本魂ナルモノ大疵物ニシテ、殆ンド今ハ半額の値(あたい)ダモナシ」。
★日本近海の小島を巡って領有権争いをしている傍らで、福島の土地が深く汚染されているのを見て、田中正造はこの百年後の「日本魂」も「大疵物」と言わないだろうか、と考えます。田中正造にとって国とは、小さな地域の中の人々の交わりや、自然環境が支えるものでした。そしてそれは国境線を越えて、もっと広い世界や宇宙の一部に他なりませんでした。一つの地域が死ねば、世界全体が体の一部を失う痛みを味わうのだ、と。島の取り合いを演じる前に、そういう世界観を、わたしたちはもう一度感じ受ける必要があるのではないでしょうか。
by oji-church | 2012-09-05 10:41 | 牧師からのメッセ-ジ