2月19日の週報コラム「ひだり手」
★教会は「キリストの体」であると聖書には語られています。いまここに、この教会という場に集まって隣り合って座っているわたしたちの集まり、つながりが一つのイエス様の体となって、この世に今もイエス様が生きておられることの目に見える形なのだということです。
★そこで、イエス様という人がどのように生き、どのように働かれたかを考えてみなければなりません。福音書にはこんなイエス様の言葉が語られています。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。またこんな言葉も。「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」。
★わたしたちがいまここに、この教会という場所に共に集まっており、それが「キリストの体」であるということは、わたしたちが一緒になって、このように、このイエス様のように「罪人を招き」「仕えられるためではなく仕えるために」生きるのだということです。
★では「罪人を招く」とはどういうことでしょうか。「仕えるために」生きるとはどういうことでしょうか。(つづく)