日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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1月22日の週報コラム「ひだり手」

「生の根っこの悲しみに」

★ 先週の月曜日に北支区の信徒大会があり、岩手で津波の被害を受け仮設住宅で暮らしておられる方、また、福島第一原発から二四キロという場所で本当に苦悩しながら保育園の園長先生をされている方のお話を伺いました。会が終わった後、一緒にお食事をした時のことが深く印象に刻まれています。参加者がそれぞれ自己紹介と挨拶をした後、保育園の先生は声を詰まらせて何も話せなくなられました。何かを話そうとすると涙が出てきてしまうと言われます。それを受けて岩手の方のお連れ合いがこういうことを言われました。震災の後、支援のために訪れた人にこう言われたと言うのです。顔ではなるべくニコニコ笑いってはいるけれども、(アゴの下に手を当てて)ここまでは涙です、と。
★聖書が語る神様の約束は、既存のルールに従って、見た目を清く正しく立派に整えることのできた人たちだけを救ってあげるという約束ではありません。それは結局人間が作り出したルールに過ぎないものです。神様の約束は見た目を清く正しく美しく整えた人に向けてだけではなく、生きるわたしたちみんなのいのちの根っこに向けられた約束です。すべての人が抱えている生きることにまつわる悲しみに向かって、神様の側が「自分はこの悲しみを共にして、必ずこの悲しみに向かって祝福を注ぎ、守り、愛さねばならない」と約束されたのだということです。
★わたしたちにとって生きるということは、何と難しいことかと思う時があります。生きていれば楽しいことや嬉しいこともあるのは事実ですが、それ以上に悩ましいこと、苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、思い通りにならないことに、幾つもわたしたちは出会わなければなりません。でもそんなわたしたちの生きることの根っこには「自分はこの悲しみを共にして、必ずこの悲しみに向かって祝福を注ぎ、守り、愛さねばならない」という神様の約束が響き続けているのです。だからこそ、わたしたちはこの神様の約束と呼び交わしながら、隣り人の悲しみを共に分かち合わなければならないよと呼びかけているのでしょう。
by oji-church | 2012-01-25 15:16 | 牧師からのメッセ-ジ