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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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by oji-church
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12月25日の週報コラム「ひだり手」

「あなたは神様ほどにも価高い」

★キリスト教会は古来、「イエス・キリストは神様とまったく同じ」(ニカイア信条)、「イエス・キリストはまったくの神様であると同時に、まったくの人間である」(カルケドン信条)ということを教理として定めてきました。
★どうも人間の内には「神様といえば完全無欠の聖なる存在、この上ない価値のあるもの。一方人間は欠けだらけで、汚らわしく価値も低い存在」という思いこみ(観念)があります。それに対して教会は、人間とは脆く弱く欠け多い存在だけれども、そういう人間一人ひとりが神様ほどにも価値ある存在なのだ、ということが、イエス様の生き様に、確かに示されていると宣言したのです。
★イエス様一人が価値ある人間ということではなく、イエス様という一人の人を通じて、イエス様とまったく変わらず「人間」であるわたしたちが皆、神様と同じくらい価値ある存在なんだと言われているのです。一見すると空疎な作り話のようなキリスト教の教理の中に、実は「あなたがどんなに脆く弱く欠け多い人間だったとしても、あなたは神様ほどにも価値ある、掛け替えのない存在なのだよ」という呼びかけが響いているのです。
★イエス様が生まれて寝かされた飼い葉桶が完全無欠のベビーベッドと較べてどんなに貧相で汚らしく見えたとしても、それはマリアさんとヨセフさんが生まれてきた赤ちゃんを大切に横たえた、この世でただ一つの価値あるベビーベッドなのです。この飼い葉桶が自分だと思ってみてください。欠け多く、脆く、弱い器です。時には汚らしく、まったく価値がないようにも思われます。けれども、その欠けたる器を掛け替えのない価値ある器として、そこに宿り、身を横たえ、一緒に生きてくれる人があるのです。神様と同じくらい価値あるものとして。イエス様が飼い葉桶に寝かせられたということの中には、そういうメッセージが込められているのではないかと思ってみるのです。
by oji-church | 2011-12-28 15:02