日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月6日の週報コラム「ひだり手」

 「はみ出しモンの神」(2)

★パウロは「正しい者は信仰によって生きる」と呼びかけます。ここで言われる「正しい者」とは「完全無欠の清く正しい人間」という意味ではありません。また「信仰」というのも、わたしやあなたの「持ち物」としての「信仰」ではありません。平たい言葉で言い換えれば、「本当に人間らしく生きようとする人は、神様との出会い、イエス様との出会い、そして隣り人との出会いによって生かされるのだ」となるでしょうか。どんなに「こうあるべき」という価値観からはみ出しす部分を抱えていても、「あなたは大切な人です」と語りかけてくれる神様、イエス様、そして隣り合って生きる誰かと出会うことで、わたしたちは生きていける。清潔さを物差しとして、はみ出す人を切り捨てる価値観によって生きる人は、そういう「出会い」を決定的に失ってしまいます。そういう人が出会うのは「はみ出す」部分を隠し去った、顔の見えないのっぺらぼうの人間だけです。
★そういう出会いによって生かされる生き方を教えてくれたのは、他ならぬイエス様だとパウロは語ります。「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は皆呪われている』と書いてあるからです」。そうパウロは語ります。
★イエス様は、ユダヤの社会のから切り捨てられた「はみ出しモン」、病いやしょうがいを負う人、外国人、やもめ、徴税人、娼婦といった人たちのところへ行き、その人と出会い、手当てをし、食事を共にしました。そしてそれらの人たちを切り捨てようとする人たちに対しては、厳しく批判の言葉を語りました。その結果、イエス様自身が世間の「はみ出しモン」とされ、社会から切り捨てられ、ぼろ切れのように十字架につるされることになったのです。自分自身が「呪われた人間」となられた。そうすることでイエス様は、「呪われた人間」とされた多くのはみ出し者と、どこまでも共に生きられるのです。
by oji-church | 2011-11-10 15:24 | 牧師からのメッセ-ジ