日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月30日の週報コラム「ひだり手」

「はみ出しモンの神」(1)

《律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を耐えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです》
(ガラテヤの信徒への手紙3章10節)
★パウロは「律法の実行に頼る者はだれでも、呪われている」と言います。なぜなら「『律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている』と書いてあるからです」。ここのところをもとのギリシア語通りに訳すと「行うべきと律法の書に書かれていること全てに留まらない者は、呪われている」となります。つまり、「こうあるべき」と告げる律法の掟に人は縛られていて、そこからは少しでもはみ出す者は、神様に滅ぼされるべき「呪われた人間」になってしまうということです。実際聖書にはそう書かれていると言うのです。
★でもパウロが語るのは、実は人間誰しもが掟に「こうあるべき」と定められたところからはみ出してしまう、いかんともしがたい自分を抱えているんだ、ということです。だから律法の掟から出発すれば、誰しもが本来「呪われた人間」になってしまうんだ、ということです。
★本来人間誰しもが「はみ出しモン」なのです。多くの人たちが「こうあるべき」から「はみだす」部分を抱えながら、それを何とか隠しながらやりくりしている。でもどうにもならない深みに人ははまり込んでしまう時がある。そんな人を、社会の清さ、清潔さ、社会の純潔を守るためと称して、次々に切り捨てていく。イエス様やパウロの当時のユダヤ人の社会はそんな社会になっていたのです。わたしたちの暮らしている社会も、いつでもそんな、清潔さを物差しにした切り捨て社会になっていく瀬戸際に立っていると言えます。でもそんな社会の中で、人と人との出会いや結びつきは、どれほどやせ細って貧しいものとなっていくことでしょうか。
by oji-church | 2011-11-10 15:24 | 牧師からのメッセ-ジ