日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月9日の週報コラム「ひだり手」

「出会いによって生きる人」

《だから信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。聖書は神が異邦人を信仰によって義となさることを見越して、「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」という福音をアブラハムに予告しました》(ガラテヤの信徒への手紙3:6~8)
★「信仰によって生きる人」と言うと、固い信仰を自分のものとして、自分を律して生きる立派な人というイメージが浮かんできますが、そもそも聖書で語られている「信仰」という言葉(ギリシア語で「ピスティス」)は、人が自分の「持ち物」として自分の心の中に携えているものではないのです。それは誰かと出会い、その相手を大事に思う気持ちから相手を裏切らないで、誠実に向き合いたいと思う気持ちを表す言葉です。聖書の中では「神のピスティス」と語られている箇所もあります。これを「神の信仰」なんて訳したら、いったい神様は、ほかのどの神様を信仰しているのかということになってしまういます。
★「神のピスティス」とは、神様が人間と出会い、人間を大切に思う気持ちから、決して自分は人間を裏切ったりはしないぞと神様が人間に約束する、そういう神様の誠実さという意味です。
★ここの「信仰によって生きる人」も、人間を大事に思って決して人間を裏切らないぞと約束して下さる神様の誠実さに寄り頼んで生きる人、ということです。これではややこしいというのであれば、いっそのこと「出会い」と訳してみたらどうかと思います。「出会いによって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい。聖書は神が異邦人を出会いによって義となさることを見越して、『あなたのゆえに異邦人は皆祝福される』という福音をアブラハムに予告しました」。このように読んだ方が、意味が伝わるのではないでしょうか。
by oji-church | 2011-10-13 10:24 | 牧師からのメッセ-ジ