日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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9月18日の週報コラム「ひだり手」

「神にかたどって創造されたわたしたち」(2)

★創世記1章の天地創造の物語は、ユダヤの国がバビロニアという大きな帝国に滅ぼされて、主だった人たちがバビロニアに捕虜として連れ去られてしまう、いわゆる「バビロン捕囚」と呼ばれる時代に書かれたものだと言われています。そんな憂き目の中でユダヤ人たちは、自分たちが神様に背き、人間の権力、バビロニアとかエジプトといった大きな帝国の人間の権力にばかり目を向けて神様に従わなかったから、自分たちは国を滅ぼされ、縄を掛けられて連れ去られてしまう、こんな憂き目に、神様の罰、裁きとして遭っているのだと考えたのです。故郷を滅ぼされ、異国の地に連れ去られるという悲しみと、自神様に従うことができなかったという自分自身への失望と、二重の挫折を味わっていたのが当時のユダヤ人たちでした。どこかいまのわたしたちに似ているような気もします。
★そんな中でユダヤの人々もまた、改めて「いのち」とは何なのかということを考えたのだと思います。「いのち」とは何なのかと問い続け、祈り、考えに考え、その果てに、この天地創造の言葉を与えられたのです。
★そのようにして与えられた天地創造の物語の中で神様は、この世界の万物を一つ一つ造った最後に人間を創造します。
★そこで神様は人間を御自分と同じ形に創造されたと語るのです。この言葉は、当時のユダヤの人たちにどう響いたでしょうか。故郷を奪われ、異国の地に連れ去られ、しかもそんな憂き目が、神様に従い得なかった自分たちのせいであると説かれ、負い目を負って自分自身にすっかり失望せざるを得ない状況に置かれていたユダヤの人々にとって、自分たちは神様と同じ形をしているというメッセージは、希望のメッセージとして響いたのではないでしょうか。こんな惨めな自分たちでも、なおこの姿は神様と同じ姿なんだというメッセージです。(つづく)
by oji-church | 2011-09-22 09:34 | 牧師からのメッセ-ジ