日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月17日の週報コラム「ひだり手」

「『信仰義認』と『行為義認」」(Ⅱ)

★一方で、イエス様は弟子たちに「わたしに従いなさい」と繰り返し呼びかけました。「イエス様に従う」というのもやはり人の「行い」に他なりません。使徒パウロもまた、イエス様に従って当時としては驚異的な距離の旅路を、苦労を重ねて自分の体を動かして伝道して回りました。パウロは確かに「信仰によって人は正しいと認められる」という「信仰義認」の教えを説いて回りましたが、それを説いて回るパウロの働きは、人の「行い」に他なりません。そう考えてみると、「信仰によって救われる。行いによって救われるのではない」と言っても、それほどスンナリ「信仰」と「行い」を分けて考えることはできないことが分かってくるのです。
★結論からお話しすると、パウロが説いたのは、自分「一人」の行いによって自分は救われるとか、あの人は救われないとか、そんな判断をしてはならないということです。「わたしは洗礼を受けて、信仰を告白した。だからわたしは救われる」。これも自分「一人」の判断です。一見すると「信仰」を重んじているようではありますが、そこには「出会い」がありません。パウロが説いたのは、自分「一人」の立派な「行い」によって自分は正しい、自分は救われると脂下がってはならない。そうではなくて、キリストとの出会いの中で、自分が生きていることの意味、いのちの意味を知らされていきなさいということなのだと思います。(つづく)
by oji-church | 2011-07-23 12:54 | 牧師からのメッセ-ジ