日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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6月26日の週報コラム「ひだり手」

「『持ち物』でない『信』」

〈しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」〉(マルコによる福音書第5章32~34節)
★「あなたの信仰があなたを救った」と言われて、この女性はポカンとしてしまったのではないでしょうか。彼女にはどこにも信仰深そうな立派さ、品行方正さなどは見えません。必死になって病気から癒されること、いや、病気が治らなかったとしても救われることを求めていただけでした。もう一方のイエス様もまた、何か立派なことをしたわけではない。ただ自分の服に触れた者を必死になって探し求めただけでした。しかし二人とも、人と触れ合うことを求めていたという点で共通しています。お互いにほとんど見ず知らずの一人の人間に関心を寄せて探し求めたのです。一方弟子たちは意に返さず、「どうせ見ず知らずの人間ではないか」と、まったく関心を寄せません。見ず知らずの人との出会い、触れ合いを求めるこの二人の間にこそ、信仰、「信」は訪れるのです。
★イエス様が指し示す信仰。それは誰の「持ち物」でもない信仰です。イエス様は、自分があなたを「癒してやる」とも「救ってやる」とも言いません。どちらが上でも下でもなく、純粋に人に関心を寄せ、その人のことを大切に思う、そんな単純素朴な出会い、触れ合いの中でこそ、「あなたは大切な存在です」とわたしたちはお互いに伝え合うことができます。それこそ「義とされる」=大切なものとされるということでしょう。そこにこそ神様の思いはあるのです。
by oji-church | 2011-06-30 09:56 | 牧師からのメッセ-ジ