日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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6月5日の週報コラム「ひだり手」

「傷が傷をいやすとき」

〈さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」〉(ヨハネによる福音書20章27節)

★果たしてトマスは、言われたようにその傷を見て、その傷に指を入れ、その手をわき腹の傷に入れてみたでしょうか。聖書は何も語っていません。仮にトマスが実際にその傷を見て、指をそこに入れ、手をわき腹の傷に入れてみたと考えてみるのです。しかしそのときにはトマスの行為は、もはや本物のイエス様かどうか、調べ、確かめてみるという当初の思惑とはまったく違う意味合いになっていたのではないかと思うのです。イエス様の傷に触れながら、その傷の痛み、疼きを自分自身の体の痛み、心の疼きとして感じ取る。そういう意味の行為変えられていたのではないでしょうか。
★トマス自身、深く傷ついていたでしょう。十字架に引かれゆくイエス様を見捨てて逃げてしまった自分に対して。何も出来なかった自分に対して。
そして実際にイエス様の手の傷、わき腹の傷に触れることによって、トマスは自分自身の内なる傷に気づかされたのではないでしょうか。その自分自身の内なる傷の痛み、疼きを、イエス様が共に分かち合ってくれていることを知らされたのではないでしょうか。
★普段わたしたちは、傷というのは悪いものだと思っています。しかし、わたしたちが心に受ける傷、その痛手、疼きは、もしかしたら誰かが一緒に傷ついてくれることによって、癒されるということがあるのではないでしょうか。
by oji-church | 2011-06-08 13:58 | 牧師からのメッセ-ジ