日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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2月6日の週報コラム「ひだり手」

「他者の弱さに連なる信仰の形」

《知っての通り、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身にはあなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。あなたがたが味わっていた幸福はいったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです》(ガラテヤの信徒への手紙4:13~15)

★2011年になりました。今からちょうど70年前にわたしたちの日本基督教団は成立しました。折から戦時下にあって国の統制に迎合する形で成立した教団でした。その後教団は軍国主義下、戦争と天皇讃美を重ねていくことになりました。その信仰の形を問う重い宿題をわたしたちは課せられています。
★パウロは、伝道旅行の中で体調を崩したことがきっかけでガラテヤの地方に赴きました。「あなたがたにとって試練ともなるようなこと」というのは、パウロの病いは感染が恐れられるような病気だったのかもしれません。しかしガラテヤの人びとは見ず知らずの旅人を親身に介抱し、懇切にこの旅人のことを思いやったのです。
★この最初のガラテヤの人びととの出会いのことを思い出しながらパウロは「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか」(ガラテヤ3:1)と呼びかけているのではないかと思います。見ず知らずの旅人のことを我が身のことのように親身になって思いやる、そういう人と人との出会いの中に、十字架のイエス・キリストはいるのだ、そこにわたしたちの信仰があるのだとパウロは呼びかけているのです。そういう「他者の弱さに連なる」信仰の形を、パウロはわたしたちに問いかけているのだと思うのです。
by oji-church | 2011-02-10 10:15 | 牧師からのメッセ-ジ