日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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1月30日の週報コラム「ひだり手」

「人を死刑にするためには」

★先週、2008年6月に秋葉原で起こった無差別殺傷事件で罪に問われている被告の公判で、死刑が求刑されました。被害に遭われた方、またその近親の方々は、かけがえのない生命を突然に奪われ、また癒しがたい深い傷を負われたことを想います。
★新聞の記事には、検察による論告の言葉が連ねられています。「犯罪史上まれに見る凶悪犯罪」「あまりに身勝手で自己中心的」「人間性のかけらも感じられない」「内省を深めた様子は見られない」「他人の痛みや苦しみへの共感が欠けており、今後の更生は期待できない」「悪魔の所業」。
★おそらく、被害に遭われた方の被告に対する心情はこのようなものでしょう。いや、これでも足りない心情であろうかと思います。しかしこの論告をしたためているのは検察官です。いや、でも検察官の務めは被告の罪状を言葉によって提示することですから、検察官は職務に忠実にしたがったまでと言えるかもしれません。
★しかし、いや待て。弁護側は「心神喪失か心神耗弱」を主張して死刑を回避することを訴える方針と記事には書かれています。つまり検察の論告は、死刑を回避しようとする弁護側の主張を退けて、あくまで死刑を実現させることを最大の目的としているのです。被告を死刑にするためには、被告が死こそが最もふさわしい「非人間」であることをどこまでも強調しなければなりません。
★しかし被告は人間ではない「悪魔」でしょうか。そうではありません。被告はそれでもやはり人間です。人を死刑へと追い込むためには、一人の人間の人間性をどこまでも否定しきらなければならないのです。一人の人の人間性を徹底的に打ち消し抹殺することによって初めて、死刑制度は成り立つものだということを教えられたような気がします。しかしその時、そのように人の人間性を抹殺する側の人間性もまた、どこかで同じように破壊されているのではないでしょうか。
by oji-church | 2011-02-04 14:44 | 牧師からのメッセ-ジ