1月16日の週報コラム「ひだり手」
★ダルマさんといえば日本ではすっかりお人形になっていますが、もとは中国に禅宗の仏教を伝えたお坊さんです。ダルマさんが中国にやって来たとき、時の中国の皇帝がダルマさんに尋ねました。「自分は寺をおこし、僧を育てた。どんな功徳があるか?」。するとダルマさんは答えます。「功徳などない」。次に皇帝は「聖なる真理のいちばん大切な意味は何か?」。ダルマさんの答えは「聖なる真理など存在しない」。最後に皇帝はいらだって言います。「お前は何者か?」。ダルマさんは一言「知らない」と答えました。
★人を喰ったようなお話ですが、このお話は宗教にとって大切なことをわたしたちに伝えています。宗教信仰は時に人をエゴイズム(自己中心)から解放してくれます。しかしまた宗教は時に、人をエゴイズムから解放するその自らの力を絶対化して、自らへの批判を封じてしまいます。自分のところの信仰こそが「もっとも聖なるもの」であり、他よりもすぐれてエゴイズムから人を解放するのだと。
★しかしそれ自体がもうすでに、その宗教のエゴイズムになってしまっています。ひとたび宗教を信仰すると、こうしたその宗教自体のエゴイズムには、なかなか気付くことができなくなってしまうのです。ダルマさんは「功徳などない」「聖なるものなど存在しない」「自分が何者か知らない」と答えることによって、「わたし」にどれだけ功徳があるか、「わたし」は聖なる真理の一番大切な意味をどれだけ知っているか、「わたし」はどれだけ悟った一人前の信仰者か。そういう信仰につきまとう「わたし」を放り出して(解放して)いるのです。
★イエス様が「明日のことを思い悩むな」と語ったこととつながるような気がします。