日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

1月9日の週報コラム「ひだり手」

言葉の先にあるもの

★21世紀が始まって最初の十年が過ぎました。20世紀は戦争の世紀でした。その反省から21世紀は平和と人権の世紀としたいと願われたはずだったと思います。しかしながら、この十年でいったいどれだけの人たちの命が戦争で奪われたかはかり知れません。戦争は人間同士が敵味方に分かれて相争い、殺し合うことです。しかし「敵」と呼ばれる人々も人間であり、「味方」と呼ばれる人々も同じく人間なのです。ところがある時、一方には「敵」という、もう一方には「味方」という「言葉」が付けられて、その時からわたしたちは、双方が同じ人間であるという当たり前の事実を、「言葉」の前に、いとも簡単に忘れ去ってしまいます。
★言葉は、わたしたちが互いに出会い、触れ合い、理解しあうためには不可欠の、またとても役に立つ道具ですが、しかし時に言葉は、ありのままの、当たり前の真実をゆがめ、見えなくさせてしまう、よこしまな働きをなすこともあります。
★牧師の仕事の多くは言葉によってなされます。そんな中でしばしば、自分は、ただ言葉だけを並べて仕事を右から左へと受け流しているだけじゃないかという疑念が沸き起こってきます。それらしい言葉をいくつかつ並べることで、教会はいくらでも自らを聖なる場所としてそれらしく、清く麗しく、荘厳な雰囲気に装うことができます。けれども、本当は教会に集まっているのは、傷つけば温かい血の吹き出る「生身の人間」です。言葉だけで教会を、それらしく装うことはできても、それは、やがてどこかで、「生身の人間」のいのちの本当の姿と入れ合わなくなってしまうでしょう。それでも言葉の方にすがるなら、やがてわたしたちは人間の「いのち」の方を「言葉」に合うように歪め、押しつぶし始めることになります。
★教会という場所は本来、言葉の先にある、いのちの本当の姿に触れ、それを守り、はぐくむ働きへと押し出されていく場所でなければならないのだと思います。
by oji-church | 2011-01-15 14:47 | 牧師からのメッセ-ジ