日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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12月12日の週報コラム「ひだり手」

「上を見あげたい」

〈イエスは、「何をしてほしいのかと言われた盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った〉(マルコによる福音書10章51節)

★イエス様は神様と人、人と人との出会い、関わり合い、結び合いを何よりも大切にする人だったと思います。この場面でも、イエス様は叫ぶバルティマイの前に立ち止まって、彼を呼び出します。やってきたバルティマイに向かって「何をしてほしいのか」と尋ねるのです。普通であれば、道ばたの乞食がうるさくてかなわない。そうしたらわずかな施しを投げ与えて、そこを通り過ぎるでしょう。「何をしてほしいのか」などと聞くのは時間の無駄だと。しかしこのイエス様の問いかけをは、原文通りには、「わたしが何をするようにとあなたは望むのか」となります。ちゃんと「わたし」と「あなた」という人間同士の関わり合い、結び合いが語られているのです。
★イエス様のこの問いかけに答えてバルティマイは言います。「先生、見えるようになりたいのです」。実はここで「見えるようになりたい」と訳されている言葉は、厳密には「再び見えるようになりたい」という言葉なのです。バルティマイはかつては目が見えていたのが途中で失明したということが分かります。しかし同じ言葉がもう一つ意味を持っているのです。それは「上を見上げたい」という意味です。意味深い言葉です。一つには神様を見上げて、神様との関わりの中で生きていきたいという意味かもしれません。しょうがいを負った人は神の裁き、神の呪いを受けていると考えられていたのですから。もう一つには、それまで道ばたに座って頭を下げて施しを乞うていたのだけれども、こうべを上げて人間らしく生きていきたいとの願いにも聞こえます。この「見えるようになりたい」という一言にはバルティマイの人生すべての重みと深さが込められているのです。
by oji-church | 2010-12-16 09:24 | 牧師からのメッセ-ジ