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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月14日の週報コラム「ひだり手」

「イエス! イエス! イエス!」

★11月12日の朝日新聞夕刊に広島で開幕した「ノーベル平和賞サミット」の記事が載っていました。ノーベル平和賞を受賞した多くの著名人の発言が載っていましたが、受賞者ではない一人の人の発言に心惹かれました。広島平和記念資料館の元館長で被爆者の高橋昭博さんの言葉です。「原爆には憎しみを持っていますが、憎しみで憎しみを消すことはできません、他の人に心を開くことを決して忘れてはならないと思っています」。
★一方、同じ新聞の文化欄には今年ノーベル平和賞を受賞した、なお獄中にある中国の活動家・劉暁波(りゅう・ぎょうは/リウ・シアオポー)さんが米国ペンクラブの「バーバラ・ゴールドスミス著作の自由賞」を受けた記事も載っていました。その中で劉さんの妻、劉霞(リウ・シア)さんのこんな挨拶の言葉があります。「劉暁波は不器用だが勤勉な詩人で、たとえ投獄されても詩を書くことを放棄しませんでした。……詩人のほとばしる情熱をもって、中国の民主化を進め、独裁者に向かって、ノー! ノー! ノー!と繰り返してきました。……そして詩人の温かなやさしさをもって、無実の罪で殺された人の霊魂、親愛なる友や私にイエス! イエス! イエス!と繰り返してきました」。
★高橋さんは、「憎しみで憎しみを消すことはできない」と語ります。なぜなら憎しみは、相手を「無き者」にしてしまいたいという「無への欲望」から生まれるからです。戦争や独裁は、そのような「無」への欲望に突き動かされた人間のなすことです。劉さんはそのような欲望に対して「ノー」を突きつけます。しかし「詩人のやさしさ」をもって、殺された人や友など「小さくされている人たち」には「イエス」を語るのです。やはり本当の意味で歴史を前に進める力は、「憎しみ」ではなく、「イエス」、他者を肯定すること、「他の人に心を開くこと」から生まれるのでしょう。「ノー」(いいえ)という否定語が、英語では「無」をも意味することは示唆に富んでいます。
by oji-church | 2010-11-17 10:19 | 牧師からのメッセ-ジ