日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

10月24日の週報コラム「ひだり手」

「同行二人」

〈なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 〉コリントの信徒への手紙Ⅱ第2章2~3節)

★(承前)3節は元のギリシア語原文では、こちらも「そちらに行ったとき、わたしも」と書かれているのです。「わたしも」とパウロが語るその傍らに、イエス・キリスト以外には人らしい姿は見当たりません。するとイエスもまた「優れた言葉や知恵を持って」いず、「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安」であったことになります。
★新共同訳の聖書を翻訳した人は、まさかイエス様が「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安」だったなど、そんなことがあってはならないと思って、3節の方は「わたしも」ではなく「わたしは」と訳したのでしょうか。でもそこには、人が弱さを抱えるのはその人の落ち度や未熟さのせいだとする考えが横たわっています。しかしパウロが語るのは、たとえ人がどんなに落ち度を抱え、どんなに未熟であれ、そんなことは全部乗り越えて、十字架につけられたキリストが、共に歩いていてくれるのだということです。
★お遍路さんの編み笠には「同行二人」と書かれています。一人ぼっちの遍路の旅にも必ず弘法大師が一緒に歩いてくれていることを示すものです。旅に病み、また伝道の失敗を重ねて失意の内に独り旅するパウロではあるけれども、その傍らにはそのパウロと同じ弱さの立場に立ったイエス様が歩いていてくれるのだということなのです。
by oji-church | 2010-10-30 11:25 | 牧師からのメッセ-ジ