日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

10月17日の週報コラム「ひだり手」

「『わたしも』と呼ぶ傍らに」

〈兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。 〉コリントの信徒への手紙Ⅱ第2章1~3節)

★アテネでの伝道が散々な結果に終わったパウロは、憔悴しきって「もう自分には優れた言葉や知恵はない」と落ち込んでコリントの町にたどり着いたということでしょうか。精神的にも不安定な状態に落ち込んでいたのかもしれません。
★しかしパウロはそんな自分の弱さを隠しません。わたしたちは出来ることなら、自分の弱いところは人に見られたくないと思うものです。どうしてでしょうか。わたしには自分の弱さが何か自分の落ち度や未熟さのせいとしか思えなくなってしまうのです。人に打ち明ければ、きっとそれらを指摘されるに違いない。そんな「怖れ」があります。その裏には、弱さはその人間の落ち度や未熟さの表れであると見る考え方が働いているのでしょう。
★3節は元のギリシア語原文では、こちらも「そちらに行ったとき、わたしも」と書かれているのです。「わたしも」とパウロが語るその傍らには誰が居たのでしょうか。2節にはこうあります。「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」。パウロが「わたしも」と語るその辺りにはこのイエス・キリスト以外には人らしい姿は見当たりません。とするとイエスもまた「優れた言葉や知恵を持って」いず、「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安」であったことになります。(つづく)
by oji-church | 2010-10-20 20:40 | 牧師からのメッセ-ジ