日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

10月10日の週報コラム「ひだり手」

「『悪』と『愚かさ』を救うもの」

〈十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です〉。(コリントの信徒への手紙Ⅰ第1章18節)

★『悪人』というタイトルの映画が話題になっています。一方ここ数年来宗教学者の山折哲雄さんが、浄土真宗の開祖・親鸞の思想に触れながら「悪」について著作されています。親鸞といえば『歎異抄』の「善人なほもて往生す、いはんや悪人をや」という「悪人正機説」が有名ですが、弟子の著した『歎異抄』とは異なり、親鸞自身の著作である『教行信証』では、悪人が無条件で往生できるとは書かれていないと言うのです。悪人が往生するためには「懺悔」と「前知識」(よき導き手との出会い)が必要と説いているとのことです。
★山折さんは、15年前のオウム真理教の事件が親鸞の語る「悪人」について考えるきっかけとなったと言います。オウム事件が起こった時、もし現代の極重悪人を一人選ぶとすれば、それは麻原彰晃であろうと思ったと言います。そして果たして彼は救われるのだろうかという問いがわき起こってきたと言うのです。しかし社会はこの事件を物知り顔に分析したり解釈したりはするけれども、人の悪というものを直視しようとはしなかったとも。麻原氏を「愚か者のなれの果て」と見なして、自分とは無関係のこととしたわけです。
★厄介な悩み事は器用に避けて通るというのがこの世の価値観です。十字架に掛けられたイエス様の姿は、この世の目から見れば、厄介事を抱え込んだ「愚か者のなれの果て」に見えるでしょう。しかしその姿こそが「神の力」なのだとパウロは語るのです。愚かにも抱え込んだ厄介事を、愚かにも分かち合い、共に省み続けていくことからこそ、人の生命を真に支える力が見いだされてゆく、ということでしょうか。
by oji-church | 2010-10-13 15:10 | 牧師からのメッセ-ジ