日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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9月26日の週報コラム「ひだり手」より

「ゆっくりとした歩み」

「このようにイエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」(マルコによる福音書15章20~21節)。

★今年で41歳になります。おなかの出っ張りがなかなか凹まなくなると同時に、以前に比べて、歯切れ良く人前で喋ったり、文章を書いたり出来なくなりました。「四十にして迷わず」とは裏腹に四十を過ぎてからの方が迷うことが多くなりました。
★体の足とは別の「心の足」があると思うようになりました。何かを抱え込んでくよくよと考え始めると、体はどんなに健康でも、心の足はゆっくりとしか歩けなくなってしまう。また年を重ねるうちに、心の足の速さは、確実にゆっくりになっていきます。それが頑固になったとか、保守化したとか、くよくよするようになったとか、つまりは「老い」として疎んじられてきたのではないでしょうか。
★しかし「遅い」ことは「悪い」ことなのか。牧師として人と出会うなかでそういう問いかけを受けてきました。イエス様は十字架への道行きを倒れながらゆっくり歩き通され、やがて十字架に釘付けにされてまったく動かなくなりました。
★この動けなくなったイエス様を、神様はなお「わたしの子だ。わたしの愛する子だ。わたしの心に適う愛する子だ」と呼びかけ続けられたのだ。わたしたちはその声を聞いた。そう証しすることから教会は始まりました。動けないイエス様を神様は愛し続けられる。十字架の死を乗り越えて。だからなお、わたしたちの歩みは、わたしたちの足は、体の足も、心の足も、どんなにゆっくりであっても構わない。わたしたちの死を越えてなお、神様はゆっくりとした歩みに愛を注ぎ続け、イエス様は十字架を背負いつつ、死を越えて人のゆっくりとした歩みに寄り添い続けたもう、のでしょう。
by oji-church | 2010-09-29 11:44 | 牧師からのメッセ-ジ