日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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2月14日の週報コラム「ひだり手」

「いま、ここにある永遠のいのち」

《わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか》(ヨハネ11章25~26節)
★イエスは、「わたしは復活であり、命である」と現在形で語っています。復活を将来いつかのことではなく、いまここのこととして語っています。「決して死ぬことはない」のところは、もとのギリシア語では「永遠のうちにあって、死ぬことはない」と書かれているのです。
★わたしたち、この世に生きている者はやがて死にます。だけれども、わたしたちの生きているこの世界は、神様が創られて「見よ、それは極めてよかった」と、神様に呼びかけられ祝福された世界です。この世界は、神様から「よきもの」とされた、永遠の価値を持つ世界です。そしてわたしたちもまた、この祝福された世界の一部として生きているのです。やがて死んでしまうにせよ、いま生きているわたしたちのいのちは、この世界の一部として、永遠の価値を持ったいのちなのです。死んだからと言って、決してゴミ箱にポイッと捨てられるようなものじゃない。「見よ、それは極めてよかった」と、神様の永遠の慈しみの内に置かれているのだと、イエスは言っているのではないでしょうか。。
★確かにイエスは、市場で売られていた雀、一羽だけでは値段が付かず、二羽まとめてようやく一円という値段が付く雀を指して、あの雀の一羽でさえ、天の父が共にでなければ死ぬことはないと語っていました。いのちとは、どんないのちでも、神様が祝福したこの世界全体ほどにも値高いものなのだとイエス様は語られたのです。だから、いのちのことで何を食べようか、何を着ようかと思い惑うな、あなたたちは価値あるものなのだとも教えられました。そういうわたしを信じるか、信じてくれるか、とここでイエス様は問いかけているのです。
by oji-church | 2010-02-17 10:33 | 牧師からのメッセ-ジ