1月10日の週報コラム「ひだり手」
★新しい年が明けました。ここに来て1年という時間が文字通りあっという間に過ぎ去ってしまうことに我ながら驚いています。
★こんな話を聞きました。子どもの頃には時間はゆっくりと流れ、一日もあんなに長く感じられたのに、大人になるとどうしてこんなに時間が速く過ぎ去ってしまうのか。その答えです。5歳の子どもの1年は人生全体の5分の1。ところが50歳の大人の1年は人生全体の50分の1。すると5歳の子どもの1年は50歳の大人の10年に相当するということ。確かめようはありませんが、なるほどと思わされます。
★キリスト教の公式見解では、時間は天地創造の時に神様によって造られて、やがて終末にキリストが再臨し、最後の審判を経て、時間は終わりを告げるということになっています。けれどもイエスは時間というものをそんなふうに考えていたのでしょうか。
★イエスは、神の国を、未来に訪れ、時間に終わりを告げるものというより、いまここにすでにわたしたちのすぐ身近にあるものとして感じていたように思います。「空の鳥をよく見なさい。野の花がどのようにして育つのか、注意して見なさい」と語った時、イエスのまなざしの先には空を横切る鳥が見えていたでしょう。またその足下には、野の花が小さな可憐な花を咲かせていたことでしょう。
★イエスは、いまここという時間にただ中に、神の国が来ていることを実感していたのだと思います。イエスが未来を見つめるまなざしは、やがて誰もがこの、いまここに神の国が訪れているのだということを、はっきりと感じ受ける時が来る、という展望であったでしょう。
★一年が長いか短いかは分かりませんが、いま、ここという時間の中に、鳥を養い、野の花を咲かせる神様の働きが生きていることを少しでも感じ受けながら、命を大切に愛おしむ時を、この一年過ごしてゆきたいと願います。