日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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12月13日の週報コラム「ひだり手」

「聖霊が宿るということ」

《わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです》(ルカによる福音書1章47~48節)

★48節は、口語訳聖書では「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」です。文語訳聖書では「はしための卑しきをも顧み給へばなり」です。新共同訳、口語訳、文語訳のいずれも「卑しい女である『にもかかわらず』」という意味を込めて、「このはしため『にも』」「卑しい女『をさえ』」「はしための卑しき『をも』」と訳しています。しかし原文には、そういう意味の言葉はありません。素直に訳せば「女しもべの低さに、眼を留められた」となります。もっと言えば「女しもべの低さにこそ、眼を留められた」ということです。
★この「マリアの賛歌」は後半部分でとても力強い言葉を語ります。「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返される」と。「身分の低い、主のはしため『にも』」と読んでしまったら、後半部分のこの力強い言葉にうまく繋がりません。神様は「女しもべの低さにこそ、目を留めてくれた」からこそ、後半部分の言葉が必然的に紡ぎ出されるのです。
★この前の場面で、マリアは「聖霊によって身ごもった」と言われます。夫を介さない受胎は、姦通を問われる危機でした。その危機の中でマリアは「低み」に立っています。その低みから力強く立ち上がる力をもたらすのが「聖霊」の働きなのでしょう。
by oji-church | 2009-12-18 13:06 | 牧師からのメッセ-ジ