11月15日の週報コラム「ひだり手」
★今年を「プロテスタント日本伝道150年」として祝う向きがあります。これについては、それ以前の1846年に沖縄にベッテルハイム宣教師が来訪し伝道を始めていることが抜け落ちているという指摘もあります。そればかりでなく、本来それぞれの地に「伝道○○年」があるのを「日本」というくくりでくくってしまっていいのかという問題もあります。そうした「違和感」を感じて、わたし自身はほとんど触れずにきました。
★しばしばわたしたちは歴史を「祝う」ものとして見つめます。折しも先週は「天皇即位20年祝典」がテレビに流れています。しかし歴史とは本来「祝う」ものではなく、そこから学ぶべく「検証」されるべきものではないでしょうか。
★明治維新以後、戦争に至るまでの期間、調べると数多くの歴史を「祝う」催しがあったことが分かります。「祝う」ばかりで「検証」を怠った結果が、あの戦争であったとも言えるでしょう。今の「祝い」が戦争へと繋がらないように、わたしたちは冷静に歴史を見つめるまなざしを失わないようにしなければなりません。