日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月8日の週報コラム「ひだり手」

「共に天に坐す」

《しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、…キリスト・イエス・キリストによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました》(ガラテヤの信徒への手紙2章16節)

★イエスが「天にのぼり、神の右に坐したまえり」と使徒信条が語るその前には、そのイエスが「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」とあります。十字架の死は当時、もっとも低い身分の人間の死に様に他なりません。本来であれば、遺体はそのまま十字架につるされて放置されるか、野ざらしの死体置き場に放り込まれるか。徹底的に人間としての尊厳をはぎ取られる扱いを受けたのです。
★使徒信条は、そんな人間としての尊厳をはぎ取られた人物が、しかし「天にのぼり、神の右に坐したまえり」と語るのです。古代のクリスチャンたちは、イエスが特別に高い身分の人間として天にのぼったとは言わなかった。むしろ反対に、最低の人間として、人間としての尊厳をすべてはぎ取られ、見下され、唾吐きかけられたイエスが、「天にのぼり、神の右に坐したまえり」と語り起こしたのです。
★決してイエスは、特別に選ばれた、この世の最高の身分の人間として、たった一人天にあげられたのではない。むしろこの世で見下され、人間としての尊厳をはぎ取られてしまっているような人のただ中に生き、そしてそのような人々と共に天にあげられて、神様の傍らに坐しているのだ、ということです。
by oji-church | 2009-11-13 17:10 | 牧師からのメッセ-ジ