日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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9月20日の週報コラム「ひだり手」

「心という穴」

★15年前に妻を白血病で亡くされた元高校の数学教師だった患者さん。娘さんが二人おられ、「痛い」「眠れん」「さすれ」「泊まれ」…と甘え、訴える。娘さんたちは「お母ちゃんは静かに死んだのに、お父ちゃんは、いろいろうるさーい」とストレートに投げかける。それに救われて、ホスピスの病院の支援の力が豊かにされる。死の前日、二人の娘さんは患者さんのベッドに川の字になって眠った。
★そして亡くなった。死後の処置の時、娘さんが聞く。「看護婦さん、父さん、三途の川を渡る時、『痛い、痛い』って言って、よう渡り切らんてことないですよね」。看護婦さんが答える。「じゃあ、その痛み止めの坐薬、入れときましょうか」。鎮痛剤の坐薬を二個挿入した(徳永進『心のくすり箱』より)。
★徳永さんは「薬はどこから体に入ってゆくのか」と問う。解剖学的には注射なら皮下、筋肉、血管内。注射薬でないもののほとんどは口から。その他、目、耳、気管支、肛門など。しかし人の心の状態によって、せっかくの薬も効かないことがある。薬は心を通って体に入ってくると徳永さんは言う。「この薬よ効いてくれ」と祈らないと、薬は効かないとも。
★わたしたちの体には解剖学的な穴の他に、心という穴が開いているのかもしれない。この心の穴を通じて、人間同士は繋がっているのだと思う。この穴を通じて、人の痛みがわが痛みとなり、わが痛みが人の痛みとなり、そうして、不思議とはわたしたちは痛みから解放される。残念ながらわたしたちの心の穴は、長年の垢でだいぶふさがってしまっているようにも思う。イエスという人の生き様、死に様は、この穴の所在を示しているのかもしれません。
by oji-church | 2009-09-26 11:14 | 牧師からのメッセ-ジ