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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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by oji-church
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7月26日の週報コラム「ひだり手」

「自分以外の人間が住んでいる」

《トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」……それからトマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」》(ヨハネによる福音書20章25~27節)

★「いい人ほど勝手な人間になれないから、つらくて苦しいのや、人間が動物とちがうところは、他人の痛みを、自分の痛みのように感じてしまうところなんや。ひょっとすれば、いい人というのは、自分のほかに、どれだけ、自分以外の人間が住んでいるかということで決まるのやないやろかと、ふうちゃんは生みを見ているゴロちゃんやキヨシ少年を見て思った」(灰谷健次郎『太陽の子』より)。
★このところ灰谷健次郎さんの本をゆっくり読みながら、上の「自分以外の人間が住んでいる」という言葉の意味を思いめぐらせています。自分の内側に自分以外の人間を住まわせるというのは、そう簡単にできることではありませんが、そのことを通じてこそ、わたしたちは他人に「優しさ」というものを注ぐことが出来るようにさえ、それを通じて、人間同士の豊かな出会いとつながりは生まれてくるのでしょう。イエスの説いた「福音」も、やはり人間同士が互いに自分の内に相手を住まわせることへと開かれてゆくことだったのではないかと思います。
★上の聖書のトマスの言葉には、そのように自分の内側に自分以外の人間を住まわせることに、随分と苦しんだ跡が見えます。しかし、自分自身の傷をあらわにするイエスに接して、トマスは開かれていったのだと思います。イエスの傷は、他者へと開かれてあるイエスの生き様を示しています。
by oji-church | 2009-07-29 09:41 | 牧師からのメッセ-ジ